ときめきは月の瞳の中に!?
ここは麗鋒国の京師、景遥。――ではない感じのどこか。
「……??? あ、あれ……っ?」
目を覚ました花蓮は、自分が見知らぬ場所にいることに気づいて飛び起きた。
「ここどこ……っ?」
乳白色をした石の床に敷かれた絨毯(の上に寝ていた!)、細かな装飾が施された調度品、壁には見たことがない風景が描かれた絵、天井からは大輪の花を思わせるような硝子の飾りが下がっている(あれはもしかして照明器具!?)。
「明らかに異国の雰囲気……。また仙人の庵……?」
つぶやきながら立ち上がり、窓辺に歩み寄る。大きな硝子窓は嵌め殺しになっており、開けることが出来なかった。窓越しに外を覗いて、花蓮は眸を丸くした。
「う、馬が飛んでる……っ!?」
碧い空に、金色の翼を持つ馬が飛んでいた。何頭も飛んでいた。太陽の光を受けたその姿は、キラキラ眩しくて正視し続けるのが難しいほどだった。
――ちょ、ちょっと待って、今度こそ正真正銘、異世界に攫われちゃったの……っ!?
そう思ってから、花蓮はポンと手を打った。頬を興奮で紅潮させる。
「違うわ。私、攫われたんじゃなくて……!」
目を覚ますまで、花蓮は夢を見ていた。鋒山に棲む聖獣が枕元に現れ、その背に乗って飛び立つ夢である。
――つまり私、鋒山の聖獣に導かれて異世界トリップしちゃったのね!
小説に書いたことが、現実になったのだ!
花蓮は口元をむふむふさせて室内を歩き回った。
誰かがこの部屋にやって来て自分を見つけたら、どういう反応をするだろう? というか、もしも目が三つあって頭がお尻に付いているような異世界人が現れたら、まず自分がどういう反応をするべきだろう?
私から見れば変でも、この世界ではそれが当たり前の形なんだから、悲鳴を上げたり怖がったりするのは失礼よね。未知との遭遇は出来るだけ友好的に進めなければいけないわ。どんなに珍しい生きものが現れても、泰然と受け止めて笑顔で挨拶をするくらいの心意気を持つのよ、私!
と、決意の拳を握りしめたその時――。
かちゃり、と扉が開いた。花蓮が反射的にそちらを振り向くと、入ってきた人物と目が合った。
「ふええぇぇっ?」
花蓮を見てどこか気の抜けたような可愛らしい悲鳴を上げたのは、青っぽい銀髪を緩く結った少女だった。幸いにも、目鼻や手足の数は花蓮と同じである。変わっているといえば服の形と(首元や手首をしっかり締めていて窮屈そうだ!)、不思議な色のキラキラ光る眸くらいのものだった。
「あなた……誰……?」
少女から訊ねられ、花蓮はぺこりと頭を下げて自己紹介をした。
「私、麗鋒国の景遥から来た淑花蓮といいます。齢は十七歳で、好きな食べ物はお団子と香蕉です!」
「れいほうこく……? しゅく……かれんさん……?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返している少女の後ろから、今度は長い金髪を編んだ青年が現れてこちらを覗き込んだ。
「あ、フェリィ……」
「エゼル、なんだこの娘は……?」
――ふををを……っ!
金髪碧眼に、青と白と金の豪華な衣装、装飾の見事な剣を腰に佩いたこの姿。典型的な王子様……っ! これは絶対王子様、それ以外はあり得ないヴィジュアル!
花蓮が興奮のあまり目眩を起こしかけたところに、さらに追い打ちをかけるように夕焼け色の髪をした女性騎士が登場した。
「何やってるんです、フェリィ?」
男装の麗人来た――――!!
何この(私が)嬉しい世界、どうしよう、どこから喰いつけばいいの――!?
「っ、――」
花蓮はとうとう鼻血を噴いてひっくり返ったのだった。
鼻血も止まって落ち着いた花蓮に、エゼルと呼ばれた少女は改めて自己紹介をした。
「わたしは、このガルヴァドルの王太子妃でエゼルといいます。こちらは、王太子のフェルシャッフェルティ様」
にこっと可愛らしく微笑むエゼルとは正反対に、フェルシャッフェルティは無表情に花蓮を見据えた。
「それでおまえはどこからこの城へ忍び込んだのだ」
「え、あの、忍び込んだわけじゃなくて……」
花蓮がどう事情説明をしようか悩んでいると、突然大きな音を立てて扉が開いた。飛び込んできたのは、黒い髪に黒い眸をした王子様だった(これも絶対に王子様キャラだ!)。
「エゼル、異世界から女の子が来たって本当……!? 知らない場所に迷い込んで、怖がって泣いてたりとか――」
ぷりっぷりに血色のいい花蓮の顔を見て、黒髪の王子様は眸をぱちぱちさせた。
「……してない、みたいだね……」
きょとんとしている花蓮に、エゼルが紹介してくれた。
「あ、こちらは第二王子のセルヴァレート様です」
――ほら、やっぱり王子様ー!
お兄さんとは似てないから、きっと母親が違うってパターンね! どっちのお母様も美人なんでしょうね~……。ていうかお兄さんの方、名前が長いことを突っ込んでいいのかしら。何か拠無い事情があったりするのかしら。だったらその事情を教えてもらえないかしら――。
むふむふとそんなことを考えている花蓮の前に、セルヴァレートが寄ってくる。何事かと思えば、おもむろに伸びてきた腕に頭を掴まれた。
「!?」
「ふむふむ……」
花蓮の頭を揉み回しながら、セルヴァレートはくちびるを微妙に動かす。
「なんだか触ってるとむふむふしてくる頭の形だなあ……こんなの初めてだ。よし、このタイプの頭を『むふむふ型』と名付けよう」
「ごめんなさい、セルヴァレート様は頭蓋骨評論家なんです……」
エゼルが気まずそうに言った。
「頭蓋骨評論家……。それってこの国ではメジャーな職業なんですか?」
花蓮の問いに、エゼルは頭を振る。
「いえ、たぶんこの方ひとりしかいないと思います」
「へえええ、国でたったひとりってすごいですね!」
飽くまで周囲に興味津々の態度を貫く花蓮に対し、セルヴァレートが首を傾げた。
「――君はさ、どうしてこんなことになってしまったのかとか、どうやって自分の世界に帰ろうかとか、不安にならないの?」
「えっと――たぶん、きりのいいところか、ものすっごく美味しい場面の途中で消える、という展開になるんじゃないかと踏んでるんですけど。だってそれがこの手の異世界トリップもののお約束だもの」
「肝が据わってるなあ」
感心したように笑うセルヴァレートとは対照的に、フェルシャッフェルティは呆れ顔をする。
「これは、ただ頭のネジが抜けていると言うのではないのか……?」
「ともかく、花蓮さんのお部屋を用意しましょう」
ある意味、一番現実的なのがエゼルだった。王太子妃だという割に、自らテキパキと動いて花蓮の部屋を整えてくれた。
客間に落ち着いた花蓮は、しばらくしてまた顔を見せたセルヴァレートに言ってみた。
「エゼル様って、働き者のお妃様なんですね」
セルヴァレートは何やら思わせぶりな表情で答える。
「まあ――ね。エゼルはもともと兄上の小間使いだったんだよ。だから、人に命じてあれこれさせるより、自分が動く方が楽みたいだね」
「元小間使い……っ?」
花蓮の眸がときめきに燃え上がる。
――それはつまり、身分違いの恋を実らせてお妃様になったってこと!? きっとそこへ到るまでには、いろいろな難題が立ちはだかったわけなのよね……!?
「なんか、全身から好奇心のオーラが立ち上ってるけど……ふたりの馴れ初め、聞く?」
「聞きますっ。ぜひ聞かせてくださいっ」
見えない尻尾を振って懐いてくる花蓮に対し、セルヴァレートは面白そうに笑って『月の瞳のエゼル』の物語を話し始めた。
それから数日後。
フェルシャッフェルティが不機嫌そうに花蓮の部屋を訪ねてきた。
「今朝、セルヴァレートが変な恰好の人間を保護したらしい。おまえの名を呼んでいるというが、仲間がいたのか?」
「仲間……?」
首を傾げたところに、セルヴァレートがやって来た。その後ろから姿を見せたのは、押し出しのよい長身の美丈夫――花蓮がよく知る人物だった。
「陛下!?」
「夢枕に鋒山の聖獣が立ったのだ……。そして気がついたら、ここにいた」
「えぇ~、聖獣ったら、私をここへ連れてきたあと、引き返して陛下を迎えに行ったってこと?」
「なんだその厭そうな顔は」
「だって、せっかくの異世界トリップなのに、どうして違う世界に来てまで陛下の顔を見なきゃならないんですか~」
「私はどこの世界へ行ってもおまえの顔を見たいぞ! 私のその想いが、聖獣に通じたのだ!」
「――どうやら知り合いのようだな」
花蓮と天綸がいつものやりとりを繰り広げている傍らで、フェルシャッフェルティがセルヴァレートにささやいた。それを聞きつけた天綸が反論の声を上げる。
「知り合いどころの話ではない! 花蓮は私の妃だ!」
「えっ」
セルヴァレートが驚いたように花蓮と天綸とを見比べる。
「あ、誤解しないでくださいセルヴァレート様! 妃っていっても、後宮にたくさんいるうちの一番下っ端で、ただの賑やかしですから。枯れ木も山の賑わいですから!」
「おまえは枯れ木などではないぞ! 私の後宮の中で一番可愛い娘だ!」
抱き寄せてくる天綸の腕を払いながら、花蓮はセルヴァレートに言い訳を続ける。
「この人、起きてる時も寝ぼける癖があるだけですから! この人の言うことを真に受けて、私を基準にしないでくださいね、麗鋒国の後宮には美人がいっぱいですから!」
「どんなに美人がいっぱいでも、私のときめきのツボにジャストフィットなのはおまえだぞ!」
「……はははっ、面白いね君たち」
迫る天綸と逃げる花蓮、後宮ではお約束の光景を眺めてセルヴァレートは笑った。
「夫婦だっていうなら、部屋は一緒でいいかな?」
「えっ」
「ああ、もちろんだ。よろしく頼むぞ」
偉そうに頷く天綸の鳩尾に肘鉄をお見舞いし、花蓮はぶんぶん首を振る。
「駄目です、部屋は別々にしてください! 出来れば思いっきり離れた場所にしてください!」
「一体、どういう関係なのだおまえたちは……」
フェルシャッフェルティが怪訝そうに眉をひそめる。その横でセルヴァレートは、天綸を見ながらからかうように言う。
「なんで夫婦なのに、こんなに警戒されてるのさ?」
その問いに対し、天綸が口を開く前に花蓮が答える。
「別に夫婦じゃないからですっ」
「でも、妃なんでしょ?」
「この国で言う『妃』とは意味が違うんですっ」
そこへ、ぱたぱたとエゼルが駆けてきた。
「花蓮さんの旦那様が現れたって本当ですか……っ」
「ああっ、違うんです、誤解なんです~!」
その夜――。
夕食を終えた花蓮は、むっつりと部屋の長椅子に座っていた。
結局あのあと、善良な王太子妃エゼルの善意に満ちたお節介で、「夫婦喧嘩をしているなら、早く仲直りしなきゃ駄目ですよ」と言われ、天綸と同じ部屋に押し込められてしまったのである。
「話がわかる王太子妃だな」
向かいの椅子に腰を掛けてご機嫌な天綸は、花蓮の姿を改めてまじまじと見つめる。
「それはこの国の衣装か? なかなか可愛らしいな」
「麗鋒国の服は、ここに来た時のしか持ってませんから――。ここの服、首と名の付くところをあちこち締めつけるから窮屈なんですけど、でもこの襟留とか袖留とか、細工が凝ってて綺麗ですよね」
「うむ。普段と違って新鮮でいいが……脱がせにくそうな恰好だな」
「はっ?」
天綸はおもむろに立ち上がり、花蓮が座っている長椅子の隣に来た。そうして花蓮の細い首に指を伸ばす。
「この襟留は、どうやって外すのだ?」
「ああ、これは留め金が――って、教えませんよっ?」
素直に答えかけて、花蓮は慌てて口を押さえた。
「だが、外さなければいろいろと邪魔だろう」
「ちょっと陛下、私の襟留を外して何するつもりなんですかっ!?」
「それはもちろん、あんなことやそんなことに決まっている」
「えぇっ? 異世界まで来て、何考えてるんですかっ」
花蓮はバシッと天綸の腕を叩いて身を横に引く。しかし天綸は至って真面目な顔で花蓮を見つめていた。
「異世界まで来ても何も、異世界だから、だろう」
「へ」
「この世界で、私たちふたりだけが同じ故郷を持つ人間なのだ。仲良く寄り添い合って生きる他に、何が出来る? 喧嘩をしている場合ではないぞ。私たちは睦み合うべきなのだ」
天綸は花蓮の肩を抱き寄せ、耳元にそうささやいてくる。
「こういう状況でそんなこと言われるともっともらしく聞こえますけど、でもよく考えてみたらいつも言ってることやってることと変わらないですよ陛下……っ」
「それはそうだ。私はいつだっておまえと仲良くなりたくてたまらぬのだからな」
まったく悪怯れた様子もなく、天綸の指は花蓮の首で襟留の留め金を探している。
「~~~もうっ、やめてくださいーっ」
花蓮は精一杯の力で天綸の身体を押し退けようとしたが、腕力では敵わない。やがて首の後ろで、カチ、と留め金の外れる音がした。
――だめっ。
花蓮がビクッと身を竦ませた、その時――。
ぐにゃり、と視界が歪んだ。
「!?」
自分に伸しかかっている天綸の顔は変わらないが、周囲の部屋の風景が縦や横に崩れて見える。天綸も同様の感覚に襲われたようで、花蓮を押さえつける腕を開いて身を起こし、きょろきょろと辺りを見回す。
「なんだ……?」
「目がおかしくなったのかしら――あ、あれ?」
つぶやきの途中で、不思議な引力を感じて花蓮は自分の身体を抱きしめた。
――何かに引っ張られてるみたいな気がするけど……何に、どこから!?
ぐにゃぐにゃに歪んだ室内は、いつしか渦を巻くようにぐるぐる回り始めていた。その中心に、尖った角と大きな翼を持つ獣――鋒山の聖獣の姿が見える。そちらへ向けて、身体が勝手に引きずられてゆく。
「もしかして、元の世界に帰されようとしてるのかしらっ?」
「せっかく花蓮と同じ部屋をゲットして、襟留を外したところだぞ――!? 異世界にまで《寸止我愛協会》の魔の手は及んでいるのか――!」
「ええぇ~っ、まだエゼル様とフェルシャッフェルティ様の新婚いちゃいちゃっぷりをろくに見せてもらってないのに~! 男装の騎士様にも何か美味しいエピソードがありそうなのにー! やっぱり陛下が現れるのは、夢も幻も異世界トリップも終了するフラグなのよ~っ」
互いに無念を叫びながら、花蓮と天綸は時空の向こうへと吸い込まれていったのだった。
そしてその後のガルヴァドル王城では――。
エゼルとふたりの王子が顔を見合わせて語り合っていた。
「花蓮さんって、変わった人でしたね」
「ああ、見たことがない種類の娘だったな」
「僕は結構好きですねー、ああいう子。また来ればいいのに。もっといろいろ話したかったな」
花蓮がまた来るかどうかは、鋒山の聖獣のみが知っている――……。
〔おしまい〕
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