ときめきは、甘くとろける君の口づけ!

 ここは麗鋒国の京師、景遥。
 都の北に位置する宮城の一角――龍尾宮は、今日もやっぱり皇帝陛下の後宮である。
 寒い寒い冬の朝、何か甘いものを食べている幸せな夢から目を覚ました花蓮は、枕元に置かれている大きな包みに気がついた。
「……?」
 開けてみると、甘く香ばしい匂いがする茶色の塊と、何種類かの小さな金型が出てきた。
「何これ?」
 包みの一番底には、何やら書付が添えられている。それを読んで、不思議な贈り物の犯人がわかった。
「陛下……!?」
 無駄に流麗な文字で綴られていたのは、西域のイベント『ばれんたいんでー』の説明と、『ちょこれいと』の作り方だった。懇切丁寧なことに絵入りのレシピである。
「もうっ、陛下ったらいつの間に忍び込んできたのかしら! 寝てる私に変なことしなかったでしょうね……!?」
 ぷんぷん怒りながらも、初めて手にする『ちょこれいと』の塊に花蓮の好奇心は沸き立った。
「これを溶かして、この型に入れて、固めればいいのね」
 ――十四日に受け取りに来るからそれまでに用意しておけ、って……十四日って明日じゃない。……別に陛下と一緒に『ばれんたいんでー』をやりたいわけじゃないけど、面白そうだからちょっと作ってみようかしら。
 鳴鳴を連れて厨房へ乗り込んだ花蓮は、早速ちょこれいとを溶かしてみることにした。意気揚々と鍋にちょこれいとの塊を放り込もうとして、鳴鳴に止められる。
「お嬢様! 直接火にかけたらダメって書いてあります!」
「あ、そういえば」
 天綸お手製レシピには、『直火厳禁!』と朱文字で大書きされていた(よほど重要なことらしい!)。他にも、温度管理の注意や型から外すコツなどが細かく並んでいる。どう考えても、天綸自身が何度かちょこれいとを作ってみてから書いたうんちくである。
「もうっ、めんどくさいわね。こんなにうるさく言うなら、陛下が自分で作って自分で食べればいいのに……!」
 口を尖らせて文句を言いつつ、絵で解説されているとおり湯煎でちょこれいとを溶かしていると、いい感じにとろとろになってきた。ちょっと味見をしてみると、甘くほろ苦い味が口いっぱいに広がる。
「美味しい~~~!」
 ご機嫌になった花蓮は鳴鳴にも味見を勧め、ついでに厨房の料理人たちにも振る舞っているうち、気がつくとちょこれいとは綺麗さっぱり舐め尽くされてしまっていた。
「ああっ!? 型に入れて固めるどころじゃないわ、全部味見で食べちゃった……!」

 

 一方その頃、皇城では――。
 龍翔宮の私室で、皇帝陛下が余裕の笑みを浮かべていた。
「ふふふ……」
「――陛下。何もないのにひとりで笑うのはやめていただけますか」
 苦い顔の宰相閣下に注意されても、にやけた顔は引き締まらない。
「何もないとはなんだ。明日はお楽しみ、西域のラブイベント『ばれんたいんでー』だぞ! 漢の魅力と実力が試される日だ!」
 また誰かが天綸に怪しげな西域民俗情報を教えたらしい。表情が渋くなるばかりの理央を意に介さず、天綸は得々と語る。
「花蓮の枕元に置いてきた『ちょこれいと』制作キット――あれはひとまずのお試しなのだ。ちょこれいとに興味を抱いた花蓮は、厨房で溶かしてみて、我慢出来ずに味見をするだろう。甘い味に魅せられて、私のことなど忘れ果て、もうちょっと、もうちょっとだけと舐め続けるうち、全部食べてしまうに違いない。ああ、とろけそうな顔でちょこれいとを味わう花蓮の様子が目に浮かぶようだ! そんな花蓮を食べてしまいたい!」
 天綸は拳を握って叫んだあと、冷静めかして続ける。
「――もとい。とにかく、花蓮がちょこれいとを食べてしまうのはわかっている。だからもちろん、次の手は打ってある。『ばれんたいんでー』にちょこれいとをもらうためには、相手の性格と行動を読んだ緻密な計画が必要なのだ――!」
「――……」
 勝ち誇った顔の天綸を前に、理央はこれみよがしの溜息をついた。
 あんなちんちくりんが作った菓子に何の価値があるのか――。絶対にまともなものが出来上がるわけがないのに、どうしてそうも期待が抱けるのか。この弟をこんな懲りない性分にしてしまったのは、自分の育て方が間違っていたのだろうか。いや、すべてはあのちんちくりんのせいなのだ。花蓮との出会いが、天綸を変えてしまったのだ――!

 

 皇城から発せられる恨みの波動になど一切気づくことなく、花蓮は手ぶらで厨房を出ていた。
「明日、陛下がちょこれいとを受け取りに来たらどうしようかしら……」
 苦笑しながら部屋へ戻ったところ、文机の上にまた今朝と同じ包みが置かれていたので驚いた。開けてみると、中に入っているのも同じものだった。
「新しいちょこれいとだわ! また陛下が忍び込んできたの……!?」
 茶色の塊を手に取り、花蓮はむっと眉根を寄せた。
 ――朝に見つけたちょこれいとは私が味見で全部食べちゃうって、読まれてたってこと? 初めから二段構えの計画だったの!?
 自分の行動を理解されすぎていて、面白くない。
 非常に面白くないが、しかしこのちょこれいとなる代物はきっと、とても高価なものだ。勝手に食べてしまったきりにしておくわけにもいかないだろう。
 そんなに陛下が欲しがっているなら、期待以上の素晴らしいものを作って感心させてやろうじゃないの――!

 再び材料を抱えて厨房へ乗り込んだ花蓮は、今度は味見を我慢してちょこれいと作りに励んだ。そして、余計なことを考えた。
「どうもこう……茶色一色というのは色的に寂しいわよね。中に何か入れたり、他の色を着けたり出来ないかしら――」
 試行錯誤した末、花蓮的には「素晴らしい出来だわ!」というちょこれいとが完成した。それを小さな箱に入れて、可愛い布で包む。
「ようし、これで陛下も大喜びよ――!」

 

 果たして、『ばれんたいんでー』たる二月の十四日。
 朝議が終わるやいなやすぐに飛んでくるかと思った皇帝陛下だが、そろそろ日が暮れる時刻になってもまだ姿を見せない。
「陛下におかれましては、急なお仕事が入り、今日は後宮へお渡りになれないとのことでございまする」
 皇城の様子を窺いに行かせた世容にそう告げられ、花蓮は憮然とする。
「えぇ~!? 何よ、必ず十四日に用意しておけ、って言ったのは陛下のくせに!」
「お急ぎのものでしたら、私が代わりにお届けいたしましょうか」
「え」
 花蓮はちょこれいとの包みを見つめて口を噤んだ。
 ――せっかく作ったんだし、どうせなら自分で渡して、目の前で陛下の喜ぶ顔を見たいわ。
 張さんはちょこれいとは運べても、陛下の笑顔を持って帰ってきてはくれないし。私が作ったのに、張さんに向かって喜ばれても面白くないし。……って別に、陛下の笑顔を独り占めしたいとか言ってるわけじゃ……っ!
 ぶんぶん首を振ったあと、
「ううん……ナマモノってわけでもないし、陛下が来た時に渡すからいいわ」
 くちびるをむにゅむにゅさせながら花蓮は世容の申し出を断り、その日は枕元にちょこれいとを置いて眠ったのだった。

 

 翌、十五日。
「――花蓮、すまん。昨日は時間が取れるはずだったのだが、急に外せない用が入ってしまったのだ」
 気まずそうに言いながらやって来た天綸に、花蓮はちろりと冷たい視線を投げて答えた。
「別にいいです。私よりお仕事が優先なのは当然ですから」
 そんな花蓮の態度に、天綸は一度瞬きをしたあと、にやりと笑った。榻の隣に座り、顔を覗き込んでくる。
「なんだ、私が来なくて拗ねていたのか?」
「そっ――そんなわけないじゃないですか! 陛下の顔なんて、一日や二日見られなくたってなんとも思わないですよ!」
 花蓮は焦り心地で両手を振る。
「寂しいことを言ってくれるな。私は一日だっておまえの顔を見られなければ寂しいぞ」
 天綸が肩を抱き寄せようとしてくるのを躱して立ち上がった花蓮は、文机からちょこれいとの包みを取った。
「――これ。ちょこれいとです。陛下がしつこく材料を届けてくるから、仕方なく作ってあげただけですからねっ」
 花蓮が横を向いて差し出したちょこれいとを、天綸は「おお!」と声を上げて両手で受け取った。
「可愛らしく包んだな」
「うまく出来たのは包装だけじゃないですよ」
 ちょっと胸を張って言ってやると、包みを開けた天綸がさらに「おお……」と曰く言い難い声を漏らした。
「なんと――ちょこれいととは思えぬような色鮮やかさだな……!」
 スタンダードな茶色の他に、赤や白や黄色のちょこれいとも作ってみたのだ。
「綺麗でしょう。自信作ですよ!」
 ――いろいろ試してるうちに偶然出来た色だから、もう一度作れと言われても再現出来ない自信もあるけどね! 今回だけのスペシャルちょこれいとよ!
 感心しているのか呆れているのかよくわからない表情でちょこれいとを見つめていた天綸は、中のひとつ、ハート形をした桃色のちょこれいとをつまみ上げた。
「これは、おまえのくちびるのように瑞々しく愛らしい色をしているな」
 そう言ってちょこれいとにくちびるを寄せる。
「!」
 自分のくちびるに触れられたような錯覚を得て、花蓮はカッと赤くなった。そんな花蓮のくちびるに、天綸は自分が口づけた桃色ちょこれいとをちょこんと押しつける。
「こういうのを間接キスというらしいぞ。なんだかくすぐったいときめきがあるな」
「何がときめきですかっ! くすぐったくなんかありません! もうっ――せっかく頑張って作ったのに、食べないで玩具にするなら返してください!」
 天綸の手からちょこれいとを取り返そうとする花蓮だったが、軽くいなされて逆に腕を掴まれてしまった。
「もちろん、こんなものよりおまえのくちびるの方がもっと甘いに決まっているな。ぜひ直接味わわせてくれ」
「えっ――」
 力作ちょこれいとをもらって調子に乗った皇帝陛下は、素早く寵妃のくちびるを奪うと、カラフルちょこれいとを大事に抱えて後宮を出たのだった。

 その後――。
 愛すべき寵妃のもとへしばらく皇帝陛下のお渡りがなかったのは、政務多忙のためではなく、ショッキングカラーのちょこれいとにノックアウトされたせいなのは言うまでもない。

〔おしまい〕