さあ、ときめきの花咲くお掃除係へ!?
ここは、美貌の魔王陛下が魔族を治める魔王領。
異世界からやって来たお掃除好き女子高生サクラが、今日も元気に魔王城の庭掃除をしていた時のこと――。
傍らの大木が突然、ガサガサッと葉を揺らせた。何事かと顔を上げると、太い枝からひとりの少女がぶら下がっていた。
「!?」
「きゃわわわ~っ、落ちる落ちる~っ」
と悲鳴を上げながら、枝を掴む少女の手はすぐに力尽き、サクラの目の前にどすんと落ちてきた。
「ええぇっ? だ、大丈夫!?」
慌てて助け起こして声をかけると、少女は尻餅をついたお尻をさすりながら「大丈夫です~」と言った。丸い瞳と小さなくちびるに不思議な愛嬌がある少女は、腰を少し打った以外にはどこかを傷めた様子はない(結構高い木から落ちたのに、頑丈だ!)。
しかし、大丈夫なのはよかったが、よく見れば少女の恰好は随分変わっている。
――着物……じゃないわよね。和風というより、中国の歴史もの映画に出てくるみたいな服……?
サクラがそんなことを思った時、少女が元気に自己紹介した。
「私は麗鋒国の景遥から来た、淑花蓮(しゅく かれん)です! お団子と香蕉(バナナ)が好きな十七歳です!」
「あ、私は鷹月さくらです。高校二年の十七歳です」
釣られて自己紹介したものの、やはり釈然としない。『れいほうこく』の『けいよう』とはどこだろう? 聞いたことのない国だ。それに何より、彼女はどこから現れたのだろう? 気がついたら木の枝にぶら下がっていたのだが。
首を傾げるサクラに、花蓮は人懐こく話しかけてくる。
「ところで、ここはどこですか~? 厨房でお菓子を作ってたら、火加減を間違えて竈が爆発しちゃって、気がついたらこの木の枝にぶら下がってたんだけど――」
「え」
「うわー、なんか見たことない生きものが空を飛んでる?? 猫も空飛んでるし! もしかしてまた異世界に迷い込んじゃったのかしら?」
サクラの返事を待たず、花蓮はマイペースに辺りを見回しながらつぶやく。
「また、って……あなた、異世界から来たの? 何度もこういう経験があるの?」
目を丸くするサクラに、花蓮はあっけらかんと頷く。
「ん~、なんか最近、この時期になると毎年のようにいろんな世界に迷い込んでる感じで」
――この子、異世界トリップチャレンジの達人!?
「で、でも、どうやってトリップしてきたの? 魔法陣は?」
「魔法陣で呼び出されたこともあるけど、そうじゃない時もあるから、どういう理屈で異世界に迷い込んじゃうのか未だによくわからないのよね~」
花蓮は飽くまであっけらかんと笑う。
「ふ~ん? なんかこの子、サクラとはまた違う世界から来たみたいね」
空飛ぶ黒猫――サクラの使い魔を務めるミリアが口を挟んでくる。
「そうね、翻訳魔法をかけてもらわなくても初めから言葉が通じてるし、異世界トリップにもいろいろ種類があるのかしらね?」
でも、この子、どうしよう。とりあえずは魔王様に紹介するべき――?
と戸惑っているサクラのもとへ、異変に気づいた城の使用人たちが駆けつけてきた。彼らに対しても元気に自己紹介をした花蓮は、そのまま魔王のもとへ連れていかれることになったのだった。
「不労所得で贅沢出来ると勧誘されたから魔王になったのだ」
サクラの前でそんなことを言って憚らない美貌の魔王陛下は、今日も朝から絶好調にぐうたらしていたが、元気溌剌に自己紹介する花蓮を前に、
「ここのところ、異世界人の大安売りだな」
と言って大きなため息をついた。だが、ぐうたらビジネス魔王を凄腕でプロデュースする商売人の側近ライエは、上機嫌である。
「まあまあ陛下。異世界からいらしたということは、このカレンさんも、魔女の呪いの外にいるということ。サクラさん同様、《穢れの灰》を消せるかもしれないではありませんか」
「魔女? 《穢れの灰》?」
興味津々な顔をする花蓮に、ライエは現在この魔王領を悩ませる事情を説明した。半年ほど前、異世界からやって来た魔女が魔王に一目惚れしたこと。けれど魔王にあっさり振られた魔女は、仕返しとして魔王領に《穢れの灰》を降らせ、洗浄魔法を封じる呪いをかけて逃げ去ったこと。これまで掃除といえば魔法でパパッと済ませてきた魔王領の住人たちは、物理的な掃除(汚れ落とし)の仕方を知らず、汚れ物が溜まるばかり。そこへ、現代日本のごく普通の(ちょっとお掃除好きの)女子高生サクラが偶然異世界トリップしてやって来た。
「なんか、異世界から来た人間は魔女の呪いを受けていないから、《穢れの灰》を払って消してしまうことが出来るらしくて」
ライエの説明の後を引き取り、サクラが窓枠に積もっている灰をハタキで払ってみせると、黒い灰はさあっと散って消える。花蓮にも試しにやらせてみると、やはり灰は消えた。
「でも、魔王領の人たちは魔女の呪いのせいで、この灰を掃除することが出来なくて。正確に言うと、今は払うことまでは出来るようになったんだけど、消すことは出来なくて」
「なるほど! それで、呪いの灰を消すことが出来るサクラさんは、ここで《お掃除聖女様》とか呼ばれて崇め奉られてるわけね!?」
花蓮はポンと手を打って頷く。サクラはといえば、
――聖女様呼ばわりまでは説明してないけど、どうしてわかったの?
と目をパチパチさせる。
「それはもう、異世界へ迷い込んだ少女がそこで一芸を発揮して大活躍、ちやほやされる展開はお約束だもの! 私、そういうお話大好き!」
「えっと、お話じゃなくて、現実なんだけど……」
サクラ自身、異世界へ迷い込むなんて初めは夢でも見ているのかと思ったが、どうやら現実のようなので、開き直ってお掃除係を務めることにしたのだ。
「《穢れの灰》は、魔女が逃げ去ったあとも魔王領中で断続的に降っています。積もった灰を別の場所へ片付けるのではなく、消すことの出来る方が増えたのは、大変有り難いこと。カレンさん、ぜひあなたにも灰の掃除を手伝っていただけると助かるのですが」
ライエの言葉に、花蓮は笑顔で頷いた。
「任せてください! 私に出来ることならなんでもお手伝いしますよ~!」
「……掃除をするのはいいが、城の中をあまり騒がしく走り回るなよ」
しかし、魔王がアンニュイに釘を刺した言葉は、花蓮の耳を綺麗にスルーしていたようだった。
笑顔いっぱい、やる気満々なのは好感が持てるのだが、花蓮の行動はすべてがアバウトで、灰を蹴り上げながら城の中を駆け回り、片付けているはずが元の状態より散らかっていたり、美術品を派手に壊してくれたりで、却ってサクラの手間を増やすばかり。育った環境を聞いてみれば、大層なお嬢様育ちのようである。
「もう、あんたサクラの邪魔よ! 掃除が出来ないんだったら向こう行ってて!」
とうとうミリアがキレて叫び、
「えっと、うん――花蓮さん、お掃除苦手なんだったら、無理しなくていいから。その辺で休んでて」
サクラも苦笑しながら頷いたのだった。
◇―――*◆*―――◇
「あ~あ、お掃除係クビになっちゃった……」
花蓮は苦笑いしながらエプロンを外し、とぼとぼと城の廊下を歩く。
やる気はあるのに、花蓮が掃除や片付けを始めると、いつもみんなに「もうあっち行ってて!」と言われてしまうのである。
――とりあえず、私はお掃除を特技に異世界で活躍出来るようなタイプじゃないってことね。まあ、そもそも私、主人公になんてなりたくないからいいんだけど。
私の特技は、美味しそうなキャラを斜め後ろから観察することなんだから――と思ってから、むふっと口元を緩める。
花蓮が掃除に集中出来ないのには、一応、理由があるのだ。サクラと魔王の関係が気になって、つい妄想が捗ってしまう。そのせいで手元がおろそかになり、片付けているはずが散らかしてしまっていたりするのだ。
何しろ、サクラが城内の掃除をしているところへ、魔王が顔を出す頻度と来たら。特に用もないようなのに、ちょくちょく様子を見に来る。
――あれは、魔王様ってば、サクラさんのことが気になってたまらないのよねっ?
サクラさん、頑張り屋だし、極限まで働いたらゼンマイが切れたみたいにどこでも寝ちゃう癖があるし、それを心配してるのよね。サクラさんがその辺で寝こけていて、巨体の魔獣族に踏まれたら困るとか思って、お城の中を巡回せずにはいられないのよねっ?
でもそれを素直に言えない魔王様。だから魔王様の気持ちに気づかないサクラさん。こんな美味しい状況を前に、お掃除なんてしてる場合じゃないでしょう~~!
むふむふ身悶えながら歩いていた花蓮は、気がつくと大きな書庫に迷い込んでいた。
「わあっ、本がいっぱい! 小説もあるわ~!」
大喜びで異世界の小説を読み漁っていると、
「おやおや、これはカレンさん♪ 休憩中ですか?」
この城に居候しているという自称・吟遊詩人ルヴァールが、楽器を手にやって来た。
「ううん、お掃除係はクビになっちゃったの。私は何もしない方がいいみたいだから、ここでおとなしく本でも読んでようと思って」
「カレンさんは本がお好きなんですか?」
「うん、特にドラマティックでロマンティックなお話が大好き!」
「でしたら、お薦めの小説がありますよ。新聞で連載されているものなのですが」
ルヴァールが指を差したのは、《魔族の友》という新聞のバックナンバーが収められている棚。
「毎年、朝刊と夕刊で違う連載が始まるんですけどね、これがまた毎回面白くて。続きが気になって気になって、私、吟遊詩人なんですけどね、吟遊する気になれずにここに居着いてしまいまして」
「吟遊詩人が吟遊を忘れるほどの小説って……!?」
薦められるままに読み始めた連載小説にまんまと嵌まってしまった花蓮は、ルヴァールとすっかり意気投合し、魔王城での居候生活を満喫した。しかし、それを許してくれない人物がいた。魔王の側近、ライエである。
「――カレンさん、言いたくありませんが、あなたが壊した美術品の損害金額は相当なものです。それを弁償するでもなく、ただ飯食いを続けるような方を城に置いておくことは出来ません。異世界人として、何か役に立つことを示していただけないのであれば、出て行っていただきます」
「えー!」
自慢ではないが、人の役に立つような人生を送ってきてはいない。自分が楽しければいい、という人生なのだ。
――でも、サクラさんと魔王様の関係や、マゾ友の連載小説の続きが気になるし! 追い出されるわけにはいかないわ!
「あのっ、私、お掃除頑張りますから! 散らかさないように壊さないように気をつけて、灰を掃除しまくりますから! カリスマお掃除係を目指しますからー!」
と叫んで頑張ってみたが、やはり根っからのお嬢様育ちでアバウトな性格はどうにもならず、お掃除聖女サクラの足を引っ張ることしか出来ない。
まずいわ、このままじゃ本当にお城を追い出されちゃう――と焦った時である。魔王に仕える騎士サディーンが、ひとりの青年を担いで城へ帰ってきた。
「行き倒れを拾いました」
「行き倒れ!? どこかの王子様が攫われた恋人を捜す途中で力尽きたとか!?」
妄想が赴くままに生きる花蓮は、勝手な想像をして行き倒れの青年を覗き込み、次の瞬間、のけぞった。
「陛下――!?」
◇―――*◆*―――◇
サディーンが拾った行き倒れは、名を鋒天綸(ほう てんりん)。花蓮の国の皇帝陛下だという。そして花蓮は、その後宮に暮らす妃だという。
「……花蓮さん、私と同じ十七歳で、結婚してるの?」
それにしては子供っぽいというか、人妻感がないというか――。
釈然としない表情のサクラに、花蓮はぶんぶん首を振る。
「結婚なんてしてないから! そもそも結婚が厭で後宮へ潜り込んだんだし! 私は、後宮でも一番最下層の妃で、皇帝陛下のお相手なんてあり得ない身分だから!」
「……でも、あの皇帝陛下、花蓮さんを追いかけて異世界トリップしてきたんでしょう?」
「あの人はいつもそうなの! 私がどこへ行ったってしつこく追いかけてくるんだから。いつものパターンならそろそろ現れる頃合いかなあ、と思ってたら本当に来たわ。まったく予想を裏切らない人なんだから!」
「??? それって、思いっきり皇帝陛下に気に入られてるんじゃないの? 最下層からの下克上じゃないの?」
「それが迷惑なの~! 私のことなんてさっさと飽きてくれればいいのに~」
「……」
まさかの、皇帝陛下の片想い?
このお城に住む魔王陛下も大概やる気のない人だが、こんなにやる気のない後宮のお妃というのも初めて見た。平気で頭突きに肘鉄、皇帝陛下への態度がひどすぎる。今も花蓮は、天綸から逃げて掃除用具室に避難しているのだ(暇潰しの話し相手として引きずり込まれたサクラである)。
大体、結婚が厭で後宮に入るというのは何なのか。結果、皇帝に見初められていれば世話はない。しかもその皇帝が、長身で目元の涼しいイケメンときている。日頃、サクラの境遇に興味津々の花蓮だが、彼女の方がよっぽど物語のような身の上ではないか。
そんなことを思っているところへ、
「花蓮! ここか!?」
噂の皇帝陛下が用具室の扉をバーンと開けて現れた。
「もうっ、こんなところまで追いかけてこないでくださいよ! 私はサクラさんとお喋り中なんです!」
天綸は文句を言う花蓮の腕を取り、引き寄せながら言う。
「お喋りなら私も交ぜてくれ。サクラといったな、私が来るまでの花蓮の様子を教えてもらえるか? さぞかし迷惑をかけたのだろうが、悪気はないのだ。許してやってくれ」
「は、はあ……」
「その保護者みたいな態度やめてくださいっ。私は私の責任で生きてるんですから、私の失敗を陛下に謝ってもらう筋合いなんてありませんしっ」
「何を言う、私はおまえの人生のすべてを引き受けるつもりでいるのだぞ。おまえのしでかしたことはすべて私の責任だ」
「余計なお世話ですー!」
腕の中でびちびち暴れる花蓮を慣れた調子で横抱きにして、天綸は用具室を出てゆく。
――うーん、妃からこれだけ邪険にされてもめげない皇帝陛下というのもすごい……!
サクラが思わず感心した時だった。
「それは本当ですか?」
と天綸の向こうからライエの声が飛んできた。
「あなたが本当に、カレンさんが壊した美術品の弁償をしてくださる気があるならば――」
ライエの目がキラリと光る。
「芸能界に興味はございませんか? あなたほどの美丈夫、異世界から来たアイドルとして一世を風靡出来ることでしょう。そうして稼いでくだされば、カレンさんの不始末などすぐに拭えます」
「ちょっと、ライエさんっ?」
サクラは慌てて止めに入った。異世界から来た皇帝陛下のイケメンぶりに、ライエのプロデューサー魂がくすぐられているようだ。しかし、仮にも一国の皇帝陛下を芸能界で働かせるなんて無茶だろう。
と、思ったのだが――。当の天綸はあっさりとこう言ってのけた。
「ああ、アイドルなら一度やったことがあるから、もう結構だ」
「えっ? アイドル、やったことがあるんですか……!? 皇帝陛下が!?」
驚くサクラに、花蓮が面白くなさそうな表情で言う。
「陛下の傍には、景遥芸能界のカリスマプロデューサーが付いてたから……」
――まさか「陛下」と呼ばれる人の傍にはプロデューサーが付いてるのが全世界のお約束なの!? もしかしてこの人もビジネス皇帝陛下なの!? それにしたって、アイドル経験のある皇帝陛下って何なの……!?
心の中でツッコミが止まらないサクラの一方で、ライエは残念そうにため息をつく。
「そうですか……。あなたほどの美青年であれば、さぞかし芸能界で荒稼ぎしたことでしょうね。気が変わった時にはすぐ仰ってください」
◇―――*◆*―――◇
さて、異世界へ来てまで芸能界へスカウトされた美丈夫の皇帝陛下だったが、やはりいつでもどこでも可愛い寵妃しか目に入っていなかった。
花蓮は、魔王城を追い出されてはならぬとばかりにお掃除係を頑張っているが、見事に空回り、城の備品や美術品を壊しまくる破壊神と化していた。
「わわっ? 銅像の腕が取れちゃった! 優しくこすっただけのつもりなのに~! あららっ? 白いカーテンが黒くなっちゃった。汚れを取ってあげようと思っただけなのに、あああっ、汚れがどんどん広がる~っ」
ひとりでドタバタしている花蓮を、城の使用人たちは迷惑そうに見ている。
「今度の異世界人はハズレだな……」
「うん、こんなに掃除が出来ない異世界人もいるんだな……」
「これ以上城の中を壊す前に、自分の世界へ還って欲しいよな……」
――うむ、どうやらこの世界の連中は、花蓮を厄介払いしたくてたまらぬようだな。
まったく、どの世界へ行っても持て余される娘である。
だが、私は花蓮を持て余したことなどないぞ。花蓮はこういうところがいいのだ。掃除など出来なくていい。毎日むふむふしていていい。それが許される私の後宮にいるのが一番なのだと、どうしてわかってくれぬのか――。
切ない想いを胸に、花蓮のもとへと歩み寄る。
「――花蓮。そろそろわかっただろう。おまえが一番役に立つ場所は、私の傍なのだと」
「へ? 別に私は陛下の役になんて立ちたくありませんけど」
けろりとした顔でこういうことを言ってくれるところも、可愛いといったら可愛いのだからもう仕方がない。
「おまえにそのつもりはなくとも、おまえが傍にいてくれるだけで私の役に立っているのだ!」
「勝手に私を役に立たせないでください! 私は今、陛下のために何かしたいんじゃなくて、このお城のお掃除係になりたいんです。そうしないと、ここに居候出来ないんです。マゾ友の連載小説の続きが気になるんです!」
「そんなに連載小説が読みたいなら、私がおまえのためだけに連載してやる!」
「陛下の小説は、無駄に字が上手くて内容がアホらしいから、読んでてがっかり感しかないんです!」
そこへ、新聞を小脇に挟んだルヴァールが通り掛かった。
「あ、カレンさん♪ 夕刊が届きましたよ~」
「えっ! 昨日とんでもないところで終わってたから続きが気になって!」
花蓮はパッと身を翻し、天綸を振り返りもせずにルヴァールが持ってきた新聞を読み始める。
――うぬぅ、どこの世界へ行っても、私は花蓮にとって楽しい物語以下の存在なのか……!
しかし、頬を上気させ、眸をキラキラさせながら小説を読む花蓮の姿が可愛くて、新聞を取り上げる気にはなれない。
そう、花蓮の読書好きを今さらどうこうしようとは思わない。それはいいとして、問題はあのルヴァールだ。吟遊詩人などと、如何にも花蓮の好きそうな職業をひけらかし、すっかり意気投合している。もしも自分が皇帝ではなく、吟遊詩人だったら、花蓮はもっと好意的だったのだろうか――。
天綸が埒もない仮定的職業に想いを馳せていると、夕刊の連載小説を読み終えた花蓮とルヴァールは話題を別に移していた。
「そういえばカレンさんは、料理はされないのですか? 何か異世界の珍しい料理でも作ってみせれば、ライエさんに取り入れるかもしれませんよ」
「そっか、料理ね! 見栄えのいい料理だったら作れる自信あるわ!」
「見栄えだけですか?」
「うーん、場合によっては味も伴うかも??」
「それは楽しみですねえ♪」
ルヴァールは無責任に花蓮を煽りながら、厨房へと案内してゆく。天綸も慌ててそれを追いかけた。
――花蓮の料理は、覚悟のない者が食えば生命に関わるぞ! おかしな料理でうっかり異世界の魔王を倒してしまったらどうする、花蓮が次の魔王か!? ややこしい展開はやめてくれ――!
ハラハラする天綸をよそに、花蓮は厨房の一角に陣取り、ご機嫌な顔で料理を始めた。
「あれ、この竈、火はどうやって入れるの? え、魔法で火を点けるの? 火加減の調節も? へええ~! この世界は本当になんでも魔法なのね。面白~い! 私も、この世界にいる間だけでいいから、魔法が使えたらいいのに!」
そこへすかさずにじり寄り、甘いささやきをかけずにはいられない天綸である。
「おまえは初めから魔法使いだぞ。私は出逢った時からおまえの魔法に囚われているのだからな」
「へっ? 妙な寝言を垂れ流してないで、邪魔ですから陛下は向こうへ行っててください」
花蓮はつれなく指を振って天綸を追い払うが、きちんと見張っていなければ、どんな料理を作ってくれるかわかったものではない。
「あら? こういう野菜、初めて見たわ。色が綺麗だから、これも使いましょ! これは? 貝? スペシャルな大きさ~! 焼いたら美味しそうね~」
チャレンジ精神溢れる花蓮は、異世界の知らない食材も積極的に使ってゆく。単品で見れば美味しそうな食材も、花蓮のおかしなセンスで調理されるうち、おかしな色、おかしな匂いを漂わせ始める。
――これは、そろそろまずいぞ。
天綸の頭の中で、警戒音が鳴り響く。その次の瞬間、厨房係が発火魔法のコントロールを誤り、竈の火が一際大きく燃え盛った。
ボカン!
と大きな音と共に、大鍋の料理が爆発する。
「花蓮!」
天綸は咄嗟に花蓮を庇い、その場に身を伏せた。そして次に身体を起こした時、ふたりは後宮の厨房に戻っていたのだった。
ふたりの異世界人が去ったあとの魔王領では――。
花蓮の怪しい料理を食べさせられずに済んだ魔王は命拾いし、サクラは爆発後の厨房の片付けにてんてこ舞い。破壊神が去ったことで城の使用人たちは万歳し、読書仲間がいなくなってしまったルヴァールと天綸の芸能界入りを諦めきれないライエだけが、
「異世界まで新聞配達は出来ませんからね~……」
「あのイケメン皇帝陛下だけは残ってくれてもよかったんですけどねえ……」
と残念そうにつぶやくのだった。
〔おしまい〕
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