くつした猫の花蓮ちゃん

 ここはニャン鋒国のご町内。
 花蓮ちゃんは、白い靴下を履いたような模様の黒猫の女の子。いろんなおうちのお庭を覗いて歩くのが大好きな冒険家です。
 今日も花蓮ちゃんがむふむふおヒゲを揺らせながらお散歩をしていると、楽しそうな玩具がたくさん置いてあるお庭を見つけました。
「わあい!」
 大きなアスレチックタワーのてっぺんに登ってみると、とても見晴らしが良くて、花蓮ちゃんはご機嫌になりました。楽しい気分のままにステップを踏んで踊っていると、うっかり足を滑らせ、タワーから転げ落ちそうになってしまいました。そこへ、
「危ない!」
 颯爽と現れて花蓮ちゃんを抱き留めてくれたのは、茶色の虎模様が素敵な好男子猫でした。
「大丈夫か? 気をつけろ」
「すみません~。ちょっといい気分になっちゃって踊りたくなって~」
「なに、あれは踊りだったのか! てっきり、異世界の何かを召喚する儀式でもやっているものと思って、陰から少し見守ってしまったのだが」
「なんですかそれ、失礼な! 何も呼び出しませんよ!」
 花蓮ちゃんは好男子猫から離れ、プンと横を向きました。
「俺の名は範典琅。おまえは?」
「……淑花蓮ですけど」
「花蓮、か。また会おう」
 そう言って、典琅は去っていきました。
 ――何よ、あの男……。「また会おう」って、別にもう会わないと思うし!
 ぷんぷん怒りながら花蓮ちゃんが帰ったのは、ニャン鋒国皇帝の後宮です。花蓮ちゃんは羽振りの良い猫商家の娘なのですが、両親から縁談を勧められるのが厭で後宮へ逃げ込んだのです。それでいて、部屋に閉じ籠っているのは苦手なので、しょっちゅう後宮を抜け出してご町内へ遊びに出かけるのでした。
 どうせ、特別美猫でもない私が皇帝陛下の目に留まることなんてあり得ないし、このままここで趣味悠々に暮らそうっと。明日はどこのお庭へ遊びに行こうかな――
 そんなことをむふむふ考え、後宮の庭を歩いていると、
「花蓮? 花蓮ではないか」
 ふと後ろから声をかけられ、驚きました。
「えっ――典琅?」
 さっきの好男子猫でした。
「どうしてあなたがこんなところに? ここは皇帝陛下の後宮よ、陛下以外の雄猫が見つかったら厳罰よ!」
「皇帝の庭に皇帝がいることが、何の罪だ?」
「へ……」
 何やら澄ました言葉遣いで言う典琅を、花蓮ちゃんはきょとんと見つめ返します。
「私がこのニャン鋒国の皇帝、鋒天綸だ」
「ええええ~~!!」
 花蓮ちゃんはびっくりして腰を抜かしてしまいました。
「ど、どうして皇帝陛下がご町内をうろうろ……!?」
「それを言うなら、おまえこそ、後宮に住まう者がどうしてあんなところで異世界の幻獣を呼び出そうとしていた?」
「だから、何も呼び出そうとしてませんったら! ちょっとご機嫌になって踊っちゃっただけです!」
「おまえはご機嫌になると、あのように奇妙な動きを見せるのか。実に興味深い。おまえの主は誰だ? どこの妃に付いている侍女だ」
「え……私は侍女じゃありません。梅花殿の妃ですけど」
 正直に答えてしまってから後悔しましたが、もう後の祭りです。
「なんと――妃だったのか!」
 陛下は驚いた顔を見せたあと、にやりと笑いました。
「それは好都合というものだ。おまえに今宵の伽を命じよう。龍臥殿であの奇妙な踊りをたっぷり見せてくれ」
「じょ、冗談じゃないです……! 私は皇帝陛下になんか全然興味なくて……!」
「皇帝本人の前でそれを言うのか。いい度胸だな。ますますおまえが気に入った。龍臥殿が厭なら、町で会おう。――では明日、またあのタワーがある庭で」
 陛下はそう言って去っていきました。その後ろ姿を呆然と見送る花蓮ちゃんを、
「お嬢様!」
 侍女の鳴鳴が迎えに来ました。
 鳴鳴は、白黒ハチワレ模様の猫です。
 実は、鳴鳴には悲しい過去がありました。ハチワレ(鉢割れ)模様の猫は縁起が悪いと、仔猫の時に飼い主から捨てられてしまったのです。そうしてニャン鋒国ワールドへやって来たのですが、それを花蓮ちゃんの父親が拾ってきました。商家にとっては、ハチワレ模様は末広がりで縁起が良いのです。実際、鳴鳴はとてもしっかり者で頼りになる、花蓮ちゃんにとってはかけがえのない侍女となっているのです。
「お嬢様、どうかなさったのですか?」
「……鳴鳴、どうしよう。私、皇帝陛下と知り合っちゃった……」
「え……?」

 

◇―――*◆*―――◇

 

 さて、翌日。
 朝議を終えた陛下はいそいそと城下へ出ようとしましたが、信頼厚い宰相・範理央に引き留められました。
「陛下。西域の国から王子が訪れました。急なことですが、歓迎の宴を催しますのでご出席を」
「そんなものはおまえが適当にあしらっておけ。私は約束があるのだ」
「いえ、あれはなかなか堂に入った王族の佇まい……。陛下が直々にお相手をなさらねば、このニャン鋒国が舐められてしまいます」
「む……」
 仕方なく、陛下は宴に出ることにしました。
 ――花蓮は約束どおり、あの庭へ来てくれるだろうか……?
 いや、昨日のあの様子では、約束など忘れて今頃呑気に昼寝をしているかもしれぬが……。だが万が一来てくれた場合、待ちぼうけを喰わせたら機嫌を損ねてしまうぞ!
「おい理央。梅花殿の淑花蓮という妃に、私は今日は都合が悪くなったと伝えておいてくれ」
「梅花殿? そんなところにいる下級妃を相手にせずとも、後宮にはもっと美しい猫がたくさんいるでしょう」
 理央が冷たく言うのに、陛下は頭を振りました。
「いや。私はあの娘がいいのだ。大体、靴下模様の猫は縁起が良いというだろう。きっと花蓮は、私に幸運を運んでくれるぞ」

 

 その頃、陛下に勝手に待ち合わせを決められてしまった花蓮ちゃんは――。
 悩んだ挙句、皇帝陛下に待ちぼうけを喰わせたら悪いと思い、素直にまたあのお庭へやって来ていました。
「あれー。陛下、来てない……。今日ここで、って自分が言ったくせに」

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 きょろきょろお庭を見渡すと、ガーデンテーブルの上に土鍋がひとつ置いてありました。何に使うものなのでしょう。中には何も入っていません。
「わあ、手頃なサイズのお鍋! なんだか中に入りたくなっちゃう~」
 土鍋の中にピョンと入った花蓮ちゃんは、そのまま丸くなって眠ってしまいました。鍋のフィット感がとても気持ちよかったのです。
 そこへ、宴をなんとか切り上げた陛下がやって来ました。理央が後宮へ使いを遣った時、すでに花蓮ちゃんが出かけたあとだったと知って、慌てて追いかけてきたのです。
「――む? あそこで眠っているのは花蓮か?」
 花蓮ちゃんを見つけた陛下は、思わず顔をゆるませました。
「土鍋の中で丸くなっている花蓮は、食べてしまいたくなるほど可愛いな……!」
 すやすや眠る花蓮ちゃんを眺めるため、陛下は近くのテーブルにちりめん座布団を運んできて、自分もそこに横になりました。そうしてデレデレの表情で花蓮ちゃんを見つめていると、

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やがて花蓮ちゃんがぱちりと目を覚ましました。
「陛下……!? そんなところで何してるんですか」
「うむ。人間が間違えておまえを煮て食べたりしないように、傍で見張っていたのだ」
「誰も猫なんて食べませんよ!」
「わからぬぞ。おまえは誰が見ても食べてしまいたくなるほど可愛いのだからな」
「えぇっ? そんな変なこと言うの、陛下くらいのものですよ!」
「おまえは、自分が可愛いのだということをもっと自覚した方がいいぞ。怪しい人間に攫われないように気をつけろ。いや、心配だから、ずっと私の傍にいろ。私がおまえを守ってやる」
 素早く顔を寄せてきた陛下が、花蓮ちゃんの口をぺろりと舐めました。
「ふにゃ~~~っ!」
 驚いた花蓮ちゃんの悲鳴がご町内に響き渡り、炸裂する猫パンチに陛下はKOを喰らってしまいました。それでも幸せそうな表情の陛下です。
 のちにふたりの間には可愛い仔猫が生まれることになり、そしてかわいそうな過去を持つハチワレ猫の鳴鳴も、ひょんなことからツンツンな宰相閣下と出逢うことになるのですが――それはまだ、もう少し先のお話。

〔おしまい〕