ときめきは、甘くて苦い君の悪戯!

 ここは麗鋒国の京師、景遥。――とは近くて遠い、とある街。
 私立麗鋒学園は、幼稚舎から大学院まで至れり尽くせりの一貫教育を旨とする、多国籍なセレブリティが集う学校である。
 その高等科三年に籍を置く鋒天綸は、眉目秀麗・文武両道・大財閥の御曹司・親が学園の理事長、とスペック盛り盛りで全校生徒から大人気の生徒会長である。
 季節は二月。放課後の校舎を歩く天綸の足取りは弾んでいる。
 天綸の向かった先は、生物教室の準備室。ドアを開けると、そこには青色をした蜥蜴を抱いて微笑みを浮かべる白衣姿の青年がいた。範理央――高等科生物教師とは仮の姿、その実体は鋒財閥から命を受けた天綸のお目付け役である。
「……ご機嫌ですね、どうなさいました」
 理央は天綸の顔を見て無表情に言い(蜥蜴にしか笑顔を見せない男なのだ!)、蜥蜴をケージに戻す。天綸は手近の椅子に腰を降ろして周囲を見渡した。脇の壁にカレンダーが掛けられているのに気づく。
「そうだ理央、面白い駄洒落を思いついたぞ」
「は……?」
 天綸は壁のカレンダーを指差して叫ぶ。
「あっ、そこにいるのはカレンダーを見る花蓮だー!」
「………………」
 理央は一回ゆっくりと瞬きしたあと、ふうぅ……と深いため息をついた。
「少爺……。病院の予約を取るので、明日は学校を休んで身体中を精密検査してもらってください。――そうですね、脳波の状態などを重点的に」
「なんだその反応は! 面白くなかったなら素直にそう言えばいいだろう、回りくどい奴だな!」
「わざわざ笑えない駄洒落を披露しにいらしたのですか。蜥蜴が凍死しかねないのでやめていただきたいのですが」
「違う! 駄洒落は今ちょっと思いついただけだ。それに、実際さっき花蓮がカレンダーを見て何やら考え込んでいたんだ。どこかへ遊びに行く計画でもあるなら付き合ってやろうと、声をかけようとしたら――」
「素気なく断られたのですか」
「違う! 話は最後まで聞け! 花蓮に声をかけようとしたら、その前に俺に声をかけてきた連中がいる。なんだかいつもその辺をちょろちょろしてる三人組の野郎どもだが――そいつらが言うには、昨日花蓮がデパートで手作りチョコの材料を買い込んでいるのを見かけたらしい」
 そこまで言って、天綸はにやりと笑う。
「――つまりこれは、どういうことだと思う?」
「……さあ」
「理央おまえ、こんな簡単なこともわからないのか。蜥蜴ばかり相手にして暮らすのはやはりよくないぞ。もっと人間同士のイベントに関心を持て。――いいか、今は二月だ。二月の大イベントといえば、聖バレンタインデー! 花蓮は俺に手作りチョコをプレゼントするつもりなんだ。やっと俺の想いが通じたんだ! 日頃素っ気なくしているのはポーズで、きっと当日にいきなりデレてみせるつもりだぞ――!」
「よくもまあそう都合のいいように考えられますね」
「根拠のない推理じゃないぞ! 自分が食べたいだけなら、手っ取り早くブランドチョコを買い込むタイプなんだ、花蓮は! わざわざ手作りをするからには、そこには特別な意味がある! だが花蓮の菓子作りの腕は悲劇的且つ壊滅的だ。要するに、『バレンタインデーまでになんとかまともで美味しいチョコを作れるようになって、先輩に喜んでもらわなきゃ……!』――それが、カレンダーを見つめる花蓮だー! の可愛い乙女心の真相だ――!」
「その駄洒落から離れてください……蜥蜴が寒がっています」
 理央の抗議を無視して天綸は続ける。
「どんなに異様な味でも、花蓮が作ったチョコなら完食する覚悟はあるぞ。それが俺の愛の証だからな! ああ、十四日が楽しみだ。それまで、花蓮の計画は知らんふりしていてやろう。当日は派手に驚いて、そして感激の抱擁をお見舞いしてやるぞ――!」
 自分の言いたいことだけを言って生物準備室を後にした天綸は、そのまま新聞部の部室へ向かった。そこでバレンタインデーに特ダネが待っていることをリークし、花蓮が自分にチョコを渡す決定的場面を激写するよう示唆した。
 ――よし、お膳立ては万端だ! 校内新聞の一面にでかでかと載ってやるぞ! そして花蓮と、全校生徒公認のカップルになるのだ――!
「ふはははは……!」
 高笑いしながら部室を出てゆく生徒会長を見送った新聞部員たちは、顔を見合わせて口々に不安を漏らす。
「大丈夫かなあ……」
「当日は悲劇的な場面を激写する羽目になる――に学食のランチ券賭けてもいい」
「それ、賭けにならないよ。どう頑張ってもうまく行くビジョンが見えないし」
「とりあえず、バレンタイン当日に会長が心に負う傷が、出来るだけ小さく済みますように――と祈っておこう……」

 

 さて、手作りチョコグッズを買う現場を目撃された花蓮(私立麗鋒学園高等科一年・文芸部所属・大会社の社長令嬢・趣味はときめくもの全般)はといえば――。
 カレンダーを見つめて「十四日までにまともなチョコを作らなきゃ」と考えていたのは天綸が読んだとおりだった。ただし、それは天綸にプレゼントするためではない。
 十四日には、大学のお姉様方主催のバレンタインチョコ交換会(男子禁制)が催されるのだ。高等科生ながらそこに招待された花蓮は、せっかくなのでこの世にひとつしかないチョコを用意したいと思い、手作りに挑戦してみることにしたのだった。
 ――チョコレート作りなんて、そんなに難しくないわよね……?
 プレーンなチョコを溶かして、型に入れてまた固めればいいのよね? ケーキを焼こうとするといつもオーブンを壊すけど(なぜ壊れるのかわからない!)、チョコを作るのにオーブンは使わないし、きっと大丈夫なはず……。
 しかし、ただ溶かして固めるだけのはずの作業が、どうにもうまくいかない。なぜ湯煎中のボウルの中で、チョコの色が変わったり爆発したりするのか、意味がわからない!(いろんな具を入れてみたのが悪かった!?)
 バレンタインデー前夜まで奮闘し、なんとか型に入れて固めるところまで持ち込んだものの、出来上がったチョコはなぜか紫色の妖気を発していた。家のお手伝いさんたち全員から、
「お嬢様、これは人にあげたらいけません!」
「呪われてます、これ食べたら呪われます!」
 と止められ、
「世界にひとつだけのチョコなら、こないだ旦那様が特注したやつがあるじゃないですか」
「そうですよ、ほら、世界中のショコラティエに依頼して作らせたスペシャルチョコ!」
 と唆され、仕方なく父親秘蔵の特注チョコを分けてもらった花蓮である。

 

 斯くしてお楽しみの日、二月十四日はバレンタインデー。その放課後。
 綺麗にラッピングしたスペシャルチョコを鞄に忍ばせ、花蓮は足早に教室を出た。隣接する大学の方へ向かって校庭を歩いているところに、立ちはだかった影がある。
「花蓮!」
「……先輩」
 花蓮の前に通せんぼするように立ったのは、ヴィジュアルと設定だけは特級品と花蓮も認める生徒会長、鋒天綸だった。面倒臭い人に掴まった――と花蓮はあからさまに厭な顔を作る。対する天綸は、妙に上機嫌でにこにこしている。
「どこへ行くんだ? 今日は大事な用があるんじゃないのか」
「そうなんです。今日はすごく大事なイベントがあるんです。だから急いでるんです、邪魔しないでください」
「邪魔も何も、おまえは俺に用があるんじゃないのか?」
「へ……? 先輩に用なんかありませんよ。私はこれから、大学のお姉様方とチョコの交換会をするんですから」
「なんだと――!?」
 天綸は大げさに驚いたあと、顔色を変えて詰め寄ってくる。
「俺へのチョコは!?」
「はあ? そんなのあるわけないじゃないですか。どうして私が先輩にチョコあげなきゃならないんですか」
「――……」
 天綸は花蓮の顔をまじまじと見つめ、かと思うと空を仰ぎ、はたまた項垂れて足元に目を落とし、一頻り不審な挙動を見せたあと、のろのろと口を開いた。
「……じゃあ、何か? おまえが手作りチョコに挑戦していたのは、お姉様のため、か……?」
「え、どうして私がチョコを作ってたって知ってるんですか」
 驚く花蓮の言葉など耳に入っていなさげに、天綸は虚ろな視線をさ迷わせながらつぶやく。
「なんというフェイント……! 俺のこの期待に満ちた数日間は何だったんだ……どうやって喜びをおまえに伝えようと、嬉し恥ずかしの台詞をあれこれ考えていた日々はすべて無駄だったと……?」
「って、先輩!?」
 天綸はがっくり力が抜けたように、その場に頽れて地面に膝を着いた。影の落ちる目尻に、キラリと光るものがある。
「ちょっと先輩……! 何も泣かなくてもいいじゃないですか……! そんなにチョコが食べたかったんですか……!?」
 慌てる花蓮の横合いから、パシャパシャッとカメラのフラッシュが炸裂した。
「えぇっ、なに……!? 先輩、今回は何を企んでたんですかっ?」
 新聞部のカメラマンがスタンバイしている時――イコール天綸が何か悪巧みをした時、という図式が花蓮の頭の中にはある。これまでの経験上、いつもそうだったからだ。
「もうっ、なんだか知らないですけど、お姉様方との約束に遅れちゃうし、私は行きますからねっ」
 天綸に付き合わされているのだろう新聞部員たちには「ご苦労様」と頭を下げ、天綸にはべーっと舌を出してやってから、花蓮は大学校舎の方へと駆け出した。
 セーラー服の襟を翻して走ってゆく花蓮を、天綸は悄然と見送る。そんな生徒会長のたそがれた背中を見ながら、新聞部員たちはささやき合う。
「イベントの度に期待して振られるのに、懲りないよなあ会長」
「でもそんな一途ぶりがネタとしては大人気だから、今回も一面で行くか」
「生徒会長、悲しみのあまり涙する図……。事情が事情でなかったら、絵になるんだけどなあ」

 

 そして翌日の昼休み。
「花蓮せんぱーい!」
 花蓮を熱く慕う中等科生の鳴鳴が、したり顔で高等科を訪ねてきた。
「ほら見てください花蓮先輩、また新聞に載ってましたよ! 今回もまた、あの七光り生徒会長をバッサリ斬ってくださってありがとうございます!」
「あら~……」
 花蓮の前で天綸ががっくり膝を着いている構図の写真が、でかでかと校内新聞の一面に載っている。高等科の新聞はすぐ中等科にも流れるので、いつもこうやって鳴鳴から自分が新聞に載っていることを教えられる花蓮なのだった。
「花蓮先輩からバレンタインチョコをもらおうなんて五十六億七千万年早いんですよ、いい気味です!」
 鳴鳴がツンと顎を上げて言い捨てる傍らで、花蓮は「ふわわ……」と大きな欠伸をした。いや、噛み殺そうとして失敗したのだ。
「先輩……? 眠そうですね、昨夜また何かゲームにでも白熱してたんですか?」
「う、うん、そうよ、ゲームやってたのっ。ラスボスを倒したと思ったら、その後ろにまだ厄介なのが控えててねっ……」
 口調が妙に弾んでしらじらしくなり、鳴鳴が訝しげな顔をする。
「先輩――本当はなんで夜更かししたんですか……?」
「えっ……と」
 花蓮が別の言い訳を考えようとしているところに、昼休みの終了を告げる鐘の音が響いた。
「あっ、じゃあ花蓮先輩、またあとでー!」
「あ、鳴鳴これ――」
 慌てて中等科へ戻っていった鳴鳴の忘れものを改めて見つめ、花蓮は小さく吐息した。
 ――なんかちょっと、かわいそうだと思ったから。それだけよ……。
 というつぶやきは、もちろん疾うに姿が見えない鳴鳴には届いていなかった。

 

 一方――傷心の一夜を過ごした天綸は、それでも花蓮の顔を見たいばかりに、今日も健気に登校していた。そして放課後、教室の前で待ち伏せして花蓮を掴まえた。
 鳴鳴が割り込んでくる前に、「一緒に帰ろう!」と強引に腕を取ると、花蓮は案外素直に付いてきた(珍しい!)。
 校門を出、閑静な住宅街を花蓮と並んで歩きながら天綸は口を開く。
「今年はもう諦めるが……来年は期待しているからな。それまでにおまえをデレデレにさせてみせるからな……!」
「だから、私は三次元の男に興味はないって言ってるじゃないですか……」
 花蓮はうんざりしたように答え、上目遣いに天綸を見て続けた。
「大体、そんなにチョコが欲しいなら、自分で好きなのを好きなだけ買って食べればいいでしょう。私にねだられても、先輩の好みなんてわかりませんよ」
「俺はおまえからもらいたいんだ! おまえが作ったチョコが俺の好みだ!」
 天綸が言い返すと、花蓮は視線を下げて少し口を尖らせた。そうして、
「……」
 しばしの沈黙のあと、鞄の中から小さな包みを取り出した。ピンクのセロハンとリボンでラッピングされた、手のひらに載るくらいの本当に小さな包みである。
「じゃあこれ……一日遅れですけど」
 花蓮が差し出したピンクの包みを受け取り、天綸は恐る恐る訊ねた。
「これはもしかして――チョコレートか?」
「先輩があんまり欲しがってたから……昨夜ちゃちゃっと作ったんです。お手伝いさんたちに隠れてだったし、余りものの材料しかなかったから、大したものじゃないですけど」
「余りものでもちゃちゃっとでも、なんでもいいぞ! おまえのこの手が、俺を想いながら作ってくれたのならな!」
 天綸は歓喜に震え、花蓮の華奢な手をぎゅっと握る。
「ちょっと――どさくさに紛れて何するんですか! 別にこんなの、特別な意味なんかないですから! 泣くほど手作りチョコを食べたがってる先輩がちょっとかわいそうだな、って思っただけですから……っ」
 横を向いて言う花蓮の頬が少し赤い。手を握られたからなのか、初めて男にチョコレートを渡したからなのか(初めてに決まっている!)、どちらを恥ずかしがっているのかわからないが(両方かもしれない!)、どちらにしても可愛いのには変わりがない。
 ――今、この場面を激写してもらうべきだったな……!
 だが、このほんのり頬を染めた花蓮の顔を知っているのは自分だけでいい、とも思う。他人に見せるのはもったいない。自分の胸の宝石箱の中に大切にしまっておきたい。
「じゃっじゃあ、私はこれで!」
 乙女ちっくなことを考え陶然としている天綸の手を払い、花蓮は駆けていってしまった。それを見送る天綸の表情は、昨日とは打って変わって輝いている。手の中に残った可愛らしい包みを見つめ、目頭が熱くなる。
 ――これは夢じゃないぞ。花蓮が、俺のために手作りチョコを……!
 感涙にむせぶ生徒会長の図、である。
 そして――花蓮作のチョコレート(紫色)を理央に見せびらかしながら大喜びで食べた天綸は、その後三日間寝込むことになったのだった。

〔おしまい〕