ときめきは灰かぶりの壺と共に!
ここは麗鋒国の京師、景遥。
都の西、景遥県の一角に大邸宅を構える豪商・淑家当主のもとへ、このほど美しい後添いがやって来た。淑家のひとり娘・花蓮には、美人の継母と、彼女の連れ子――美人の姉が三人出来たのだった。
生身の男に興味を持たず、美しい女性が大好きな花蓮は、邸の中の美人指数急上昇に大喜び。ところが、父の菱元が「西域へ好男子(イケメン)人形を仕入れに行ってくるぞ!」と言って旅に出た途端、継母たちの態度が変わった。
淑家の令嬢として好き放題に趣味悠々生活を送っていた花蓮だが、趣味で集めた宝物はガラクタと言われて蔵に放り込まれ、花蓮自身も下働きの身の上に落とされてしまったのである。
「うわ~……なんかこういう展開、煌恋小説ではよくあるけど……」
まさか自分に降りかかるとは思わず呆然としたのも束の間、どこでもどんな状況でも楽しめるのが花蓮の長所である。掃除を言い付けられれば頑張って掃除をし、食事の支度にも張り切って臨んだ。だがそのことごとくが、継母たちの気に入るようには出来なかった。
「部屋を片付けてって言ったのに、どうして余計に散らかってるの!?」
「え、だって普段使う物は出しておいた方が便利だと思って~」
「服の繕い物を頼んだのに、どうして穴が大きくなってるの!?」
「ああ、これからの季節はその方が涼しいんじゃないかと~」
「汁物の中にどうして桃色のカエルが浮かんでいるの!?」
「食用ですよ~。身体にいいって噂を聞いて」
「もういいわ、あなたは竈で火の番でもしてなさい! 調理に手を出しちゃ駄目よ! 鍋に変なものを入れないようにね!」
「は~い……」
煌恋小説を片手に竈で灰をつつく生活がしばらく続いたある日――。
即位したばかりの若き皇帝陛下が、遥河に大きな船を浮かべて宴を催すという話が聞こえてきた。後宮へ入れる娘を探すため、景遥中の目ぼしい家の娘が招待されるらしい。名うての財産家である淑家にも招待状が来たが、宴の当日も、花蓮は竈で灰かぶりのままだった。
留守番を言い付けられた花蓮は、いそいそと着飾って出かけてゆく継母と姉たちを笑顔で見送った。皇帝陛下になど興味はないし、着飾ることにも興味がないのだ。
――でも、皇帝陛下はどうでもいいけど、景遥中の美人が集まるのは気になるかも……。
そんなことを思っていると、不意に竈の中からもくもくと煙が立ち、白髪白髯の老人が現れた。老人は花蓮よりも小柄で、左手に木の杖を持っている。
「おじいさん、誰……!?」
花蓮の問いに答えず、老人は問い返してきた。
「おまえも皇帝の宴に行きたいか?」
「行きたいというか……こっそり覗きたいなあというか」
花蓮が素直な心理を答えると、老人は「よしよし」と笑って杖を振った。すると、灰かぶりの花蓮は一瞬にして西域風の礼裙(ドレス)姿に変身してしまった。顔には面紗(ベール)も掛かっており、これなら宴に潜り込んでも継母たちに顔を見られないで済みそうだ。
「ありがとう、おじいさん! こんなことが出来るなんて、もしかしておじいさんはすごく偉い道士様なの?」
「わしのことなど、どうでもいいのじゃよ。わしはかわいそうな娘さんを見ると、助けてやりたくなる性分なのじゃ」
不思議な道士(?)はそう言って厨房の中を見渡し、籠に入っていた香蕉(バナナ)を手に取ると、それにフッと息を吹きかけた。その瞬間、香蕉は道士の手の中から消えてしまった。
「えっ……香蕉はどこ行っちゃったの? ちょうど食べ時だったのに~」
「乗り物を用意してやったぞ。さあ、遥河へ向かうがよい。ただし香蕉の舟は日持ちがせぬ。夜には腐り落ちるのでな、陽が落ちるまでに帰るのだぞ」
「???」
よくわからなかったが、花蓮は道士に見送られて邸を出た。そうして言われたとおりに遥河へ向かうと、波止場に黄色い香蕉のような形をした舟が停泊していた。
――さっきの香蕉、この舟に変わっちゃったの!?
驚きながら舟に乗ると、香蕉の舟は勝手に動き出し、皇帝の宴が開かれている大きな楼船に着けて停まった。
異国の姫君のような風情の花蓮を、楼船の水夫たちは恭しく迎え入れてくれる。船の上には大勢の美女が笑いさざめいており、その人垣の中心に皇帝陛下がいるようだが、花蓮の興味はそこにはない。色とりどりの襦裙を纏った美女たちを眺めるだけで幸せいっぱい、目の前が虹色に耀いて頭の中が春爛漫になってしまう。
――うわ~、うわ~、さすが後宮の美姫選考会! 景遥にはこんなに美人がいっぱいいたのね、それを一挙に集められるなんて、皇帝の権力って素晴らしい!
鼻息を荒くした花蓮は、肩から斜め掛けにしていた紐の先にぶら下がる白い壺をガッと両手で掴んだ。
――そう、こんな時のために、これを持ってきたのよ!
「パーラーダーイースー!!」
壺の口に向かって何やら叫び始めた奇妙な胡姫を、水夫たちは怯えたように遠巻きに見るのだった。
雑用に走り回る水夫たちの中に、明らかに人品骨柄卑しからぬ美丈夫がひとり紛れ込んでいた。その青年こそ、誰あろう麗鋒国皇帝・鋒天綸その人である。
――まったく馬鹿馬鹿しい。
宴の様子を眺めながら、天綸は大きくため息をついた。
今日の船遊びは、後宮へ入れる娘を選ぶためのもの。だがこんなところへ集まってくる女たちには到底興味を持てそうにない。相手をするだけ面倒臭いので、適当に見栄えのする官吏を身代わりに立て、天綸本人は水夫のふりをして船に乗り込んだのだった。
そこに取り澄まして立っている男が偽者皇帝とも知らず、着飾った娘たちやその親たちがかしましく自己アピールを繰り広げる様子を、面白くもない気分で眺めていると――。
人垣から離れたところに、西域風の礼裙を着た娘がぽつんと立っているのに気がついた。娘は盛んに、白い壺に顔をくっつけては身悶えしている。
「……?」
あの娘は何をやっているのだ? 具合でも悪いのか?
なんとなく心配になって近づいてゆくと、娘は顔に面紗を掛けたまま壺の口に向かって何かを叫んでいるのだとわかった。「パラダイス」とか「デンジャラス」とか漏れ聞こえるが、頭の具合が悪いのだろうか。
「……陛下の傍へ行かなくてもよろしいのですか?」
水夫のふりをして話しかけると、娘はこちらを見向きもせずに答えた。
「うん。皇帝陛下になんて興味ないから」
「興味――ない? ではどうしてこの宴に?」
「それはもちろん、美人を見物したかったからよ!」
「その壺は?」
「《躍胸的壺》よ。こんなところで大声を出したら変な人だと思われちゃうし、でも抑えられないときめきは何かにぶつけないと胸が張り裂けちゃうから、この壺に向かって叫んでるのよ」
「……」
声はしっかり漏れているし、傍から見て明らかに変な娘である。壺は逆効果になっているだけだと思うが――天綸としては、面白いものを見つけてしまった気分で楽しくなった。
「あっ……あそこの儚げな美人、さっきからちょっと悲しそうなのよね。本当はこんな宴になんて来たくなかったのよ。恋人がいるのに親から反対されて、無理矢理ここへ連れて来られたんじゃないかしら。――そうね、この場合、その恋人はこの船に水夫のふりをして潜り込んでいるというのがお約束のパターンよね。これからふたりで手に手を取って駆け落ちするのよ! 遥河を下って海へ出て、東海の島国でふたり幸せに暮らすのよ! ――ね、あなたのお仲間に、見慣れない顔の水夫とかいない? きっとそれが彼女の恋人よ!」
そう言って、娘がようやくこちらを振り返った。面紗を掛けているので顔はわからないが、眸が爛々と耀いているだろうことは想像に難くない。本当に皇帝になど興味がないようだ。
――面白い娘だ。皇帝の妃選びの場へ来て、ここまで徹底して皇帝の存在を無視するとは。
「ねえねえあなた、いざという時は駆け落ちの手助けをしてあげてね? 無理矢理後宮に入れられたって、あの人幸せになれないもの。きっとあの中には、親に言われて仕方なく来てる人もたくさんいるはずよ。陛下も、そういう人は選ばないでくれればいいけど」
この娘にかかっては、皇帝に見初められることは不幸でしかないらしい。そう決めてかかられると、受けて立ちたくなる。
――この娘を連れて帰って、今宵の伽を命じてやろうか? 皇帝に愛されることは不幸などではないと、身を以て教えてやろうか――。
改めて見てみれば、この娘、胡姫のような礼裙を着てはいるが、言葉は麗鋒国語を話しているし、何より体型が胡人ではない(どちらかというと残念な感じだが、こういうのも嫌いではない!)。どこの家の娘だろう。いずれにせよ、この宴に来られるくらいなら、後宮に召し出しても問題はない家柄のはずだ。
天綸が口元に愉しげな笑みを浮かべた時、娘が空を見上げて俄に慌て始めた。
「――いけない、もう陽が暮れるわ。帰らないと!」
「帰る? そんなことを言わずに、もう少し――」
娘の腕を取り、面紗をめくって顔を見てやろうとすると、鳩尾に全力で頭突きを喰らわされ、逃げられた。
「ごほっ……おい……!」
黄色い香蕉のような舟に飛び乗り、娘は河の向こうへと去って行ってしまった。後に残されていたのは、白い壺。
「――……」
足元に転がっている壺を拾い上げると、底に《躍胸的壺》と刻まれていた。
――ときめきの壺。
天綸は胸を押さえ、小さく噴き出した。
ああ、そのとおりだ。あの娘は自分のときめきのツボを押して行った。
必ずあの娘を見つけ出してみせる。そうして後宮へ召し出し、一生可愛がってやるとも――!
花蓮が灰かぶりの日々に戻ってしばらく後――。
皇帝陛下が景遥中の娘を召し出しては、壺に向かって何か叫べと命令するらしいという奇妙な噂が聞こえてきた。
やがて、淑家の娘たちが召し出される番になった。初め、三人の姉たちだけで出かけようとしたのだが、戸籍簿を携えた役人が「こちらのお宅には、もうひとりお嬢様がおられるはずでは?」と言うので、花蓮も一緒に行くことになった。
淑家から少し歩いた大街に、立派な輿が停められていた。あの垂簾の向こうに皇帝陛下がいるらしい。
輿の前で役人が白い壺を差し出し、これに向かって好きなことを叫べと言う。三人の姉たちは戸惑いながら順番に好きな芝居役者や好きな食べものを叫んだが、皇帝陛下はお気に召さなかったらしく、御簾の向こうに何の反応もない。
続いては花蓮の番になり、壺が渡された。
――これは、あの時落としてきちゃった私の《躍胸的壺》! どうしてこれがここに?
底に刻まれた銘を確認して首を傾げた時、不意に強い風が吹き、御簾がめくれて皇帝陛下の姿が見えた。
「……!?」
黄金の袍を着たその美丈夫の顔には、見覚えがあった。
あれは――あの時の水夫? どうして水夫が皇帝陛下のふりなんて?
頭の中に疑問符が飛び交うのに続き、妄想がむくむくと広がり始める。
そうか――あの水夫は実はただの水夫じゃなくて、隠密裏に皇帝陛下の護衛をする警吏だったのよ! だからあの時も一緒に船に乗っていたのよ。今回も、生命を狙われている皇帝陛下を守るために、気が触れた陛下のふりをして奇行を繰り返しながら城市を練り歩き、曲者をおびき出そうというのね。
うまくすれば、ここで捕り物が見られるかもしれないわ。こんな役目を仰せつかるんだから、きっと腕も立つんでしょうね、早く暗殺者が現れないかしら。でも私にとばっちりをかけるのは勘弁してね、私はただ、離れたところから宗室のお家騒動を見物したいだけなのよー!
「デーンージャーラースー! アーンド、ドーラーマーティーックー!!」
花蓮が抑えきれない興奮を壺にぶつけた瞬間、
「見つけたぞ、おまえだ!」
御簾が払い退けられ、皇帝陛下(偽者?)が飛び出してきたかと思うと、花蓮の腕を掴んで輿の中へ引っ張り込んだ。
「えっ……あのっ……!?」
吉祥紋様だらけの輿の中は、人がふたり入っても窮屈感はなかったが、生身の男と一緒に閉じ込められる空間としては、花蓮にとっては狭すぎる。
花蓮は必死に相手との距離を取り、輿の壁際にへばりつく。
「そう怖がらなくてもいいだろう。またおまえと逢いたくて捜していたのだ」
「……ってことは、やっぱりあなたはあの時の水夫……よね? じゃあ今、皇帝陛下の影武者として、曲者をおびき出す任務中なんじゃないの? こんなことしてる場合じゃないんじゃ――」
「誰が影武者だ。こんな男前がふたりといるか。私が麗鋒国の皇帝、鋒天綸だ」
「えぇっ!?」
「あの時は水夫のふりをしていただけで、あそこで皇帝のふりをしていたのは私の部下だ」
「どうしてそんなことを……」
「妃探しになど興味がなかったからだ」
「あっ、それは奇遇ですね。私も皇帝陛下には全然興味がありません。ではそういうことで、さようなら」
さっさと輿から降りようとする花蓮を天綸が引き留める。
「待て待て! 皇帝本人を目の前にして、よくそのようなことが言えるな。――だが私は、おまえのそういうところが気に入ったのだ。あの宴で妃を見つけるつもりなどなかったが、私はおまえを見つけてしまった。もう、おまえ以外の女は目に入らぬ」
「どういう趣味ですか!」
「こういう趣味だ!」
胸を張って言う皇帝陛下に、花蓮は思わず絶句する。
しばし無言で天綸と見つめ合ったあと、おずおずと口を開く。
「あの……私、生身の男に興味がないんです。だから私のことは記憶から削除していただけると……」
「壺に向かってときめきを叫ぶ奇妙な娘を忘れられるものか。私の後宮へ来い。おまえのそのときめきを、私に向かって叫ばせてやるぞ」
「え~、生身の男に向かってそれはあり得ないと思いますけど……」
「為せば成る! 私はおまえのためならなんでもしてやるぞ。何が欲しい? どんな贅沢も思いのままだぞ。美しい衣装も、珍しい宝玉も、おまえのためなら山と集めてやる。天馬の曲芸が見たいなら北方から連れてくるし、象に乗りたいなら西域から象を連れてくるぞ」
「象……!?」
花蓮の眸が一瞬煌めいたのを、天綸は見逃さなかった。
「よし、象だな。わかった。おまえが私の子を――皇子を生んだら、祝いに西域から象をもらってやる」
「象……!」
花蓮の脳内で、お鼻の長い象さんが跳舞(ダンス)を踊り始める。その隙に輿は動き出し、気がつくと宮城の奥、後宮に連れ込まれていた花蓮なのだった。
「えー、後宮なんて興味なかったのにー! でも美人がいっぱいでパラダイスー!」
皇帝陛下よりも美人な宮女の方へ擦り寄ってゆく花蓮と、その気を惹こうと必死の天綸がドタバタの後宮ライフを過ごす一方で、淑家では継母たちが心配顔の日々を過ごしていた。
実は継母たちは、道楽ぐうたら娘の花蓮を真っ当な令嬢にするため、一般常識を身に付けさせようと家事をさせていたのだ。花蓮を宴に連れて行かなかったのも、意地悪ではなく、問題を起こしそうで心配だったからである。それが、まさかの展開で花蓮は皇帝陛下と出逢い、後宮へ召し出されてしまった。あのハチャメチャ娘が陛下に無礼を働いていないかと、気が気でない。
そこへ、好男子人形を仕入れた当主の菱元が長旅から帰ってきた。そして娘が好男子皇帝の妃にされたことを知るや、新年会に皇帝陛下を呼ぶ計画を練り始めるのだった。
〔おしまい〕
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