ときめきはチョコレート色のお約束!

 チョコレートおじさま

ルベリア女学園にて 二月

 おじさま、お元気ですか?
 今日は、先日遭遇した不思議な出来事についてお話ししたいと思います。
 先日と言っても先週末のことなのですが、私は学校の授業が終わったあと、いつもの公園へ足を向けました。ひとりでゆっくり読書をするつもりだったのです。
 空いているベンチに腰を下ろし、本を広げた時、傍の木の上からガサゴソと何かが動く物音がしました。鳥でもいるのかなと思って顔を上げると、なんと大木の太い枝に引っかかっていたのは、ひとりの女の子でした。
 女の子と言っても、小さな女の子ではなく、私と同じくらいの年頃の少女です。でも服装はちょっと変わっていて、見たこともないような色柄の衣を纏っていました。髪も瞳も黒くて、真ん丸い瞳と小さなくちびるに愛嬌がある感じの、妙に憎めない顔立ちの子でした。
 少女は私に気づくと、枝の上からこちらに手を振りながら自己紹介をしました。
「私、麗鋒国の景遥から来た、縮緬問屋の孫娘で淑花蓮です。お団子と香蕉(バナナ)が好きな十七歳です!」
 おじさまは、『レイホウコクノケイヨウ』という場所がどこにあるのかご存知ですか? 私は寄宿舎に戻ってから世界地図を開いてみたのですが、それらしい場所は見つけられませんでした。それはともかく――
 その『シュクカレン』(『シュク』が名字で、『カレン』が名前だそうです)という少女の話を聞いてみると、気がついたらなぜかこの木の枝に引っかかっていて、どうしてこんなことになっているのかわからないとのことでした。いつまでも枝に掴まっているのは大変だろうし、降ろしてあげたかったのですが、私の頭より高い場所なので、どうにもなりません。そしてこういう時に限って、周囲に人気もありませんでした。
 困り果てる私の頭上で、カレン本人は、「誰か背の高い人が通り掛かったら降ろしてもらうからいいわよ~」と呑気なものです。もしも今日このあと、ここを通り掛かるのが小柄な女性や子供ばかりだったらどうするつもりなのでしょう。
 私が誰か呼んで来くればいいだろうとお思いでしょうが、通りへ出て誰かに救けを求めようにも、どうもこのカレンという少女は落ち着きのない感じで、うっかり目を離したが最後、枝から落ちてしまいそうで、心配でこの場所を離れることが出来なかったのです。
 どうか一刻も早く背の高い男の人がここを通り掛かってくれますようにと祈りながら、私は木の上のカレンの話し相手を務めることになりました。
「あのね、私はさっきまで後宮で、陛下が持ってきてくれた『ちょこれいと』っていう舶来のお菓子を食べてたの。そしたら陛下がふざけてほっぺた舐めてきて、抵抗して暴れてたら、いつの間にかこんなところにいて……ここは麗鋒国じゃないわよね? あの『ちょこれいと』は時空を超える魔法のちょこれいとだったのかしら??」
「えっと……後宮? 陛下って?」
 カレンの話をよくよく聞いてみると、これがまたとんでもない子でした。
 大豪商の家に生まれた彼女は、両親から結婚を勧められるのに辟易し、皇帝陛下の後宮へ逃げ込んだのだそうです。後宮は、宦官に賄賂を渡さなければ皇帝陛下に存在をアピールすることも出来ないシステムになっていて、彼女はそれを逆手に取り、賄賂を渡さないまま後宮の隅っこで目立たず趣味三昧の日々を過ごそうと目論んだのです。ところが、運命の悪戯で彼女は皇帝陛下に見初められてしまい、追いかけ回されて迷惑しているのだそうです。
 なんて贅沢な身の上なんでしょう!
 というか、そういう経緯で後宮へ上がったのに、ひょんなことから皇帝陛下と出逢ってしまう――という展開は、王道中の王道です。むしろ、そうならなかったら読者から文句が出るだろうというレベルでお約束です。
 そう、私は少女小説のヒロインを地で行っている少女と遭遇してしまったのです。ひょんなことから異世界トリップ(?)してしまうというのも、番外編で使えるネタですから、まったく無駄のない人生を生きている子です。
 枝に掴まったままのカレンの口からは、『陛下』への文句ばかりがこぼれてきました。でもそれがなんだかちょっと微妙なのです。
「黙って立ってれば極上の美丈夫なのよ、陛下は。それが、動いて喋ると、がっかりな感じになっちゃうの。口を開かず黙って玉座に座ってればいいと思うのよ、あの人。大体、歌って踊れる皇帝陛下なんて普通考えられる? 城市を歩けば煌星的男子(アイドル)になりませんかってスカウトされるし、雨の日には仔犬を拾っちゃうし、不良時代の子分にはめったやたらに慕われてるし、朝廷内にも親衛隊がいるし、何をさせても人並み以上にこなせちゃうし、たぶん皇帝じゃなくなっても十分に食べていける才覚を持ってるわ、あの人。それなのに、なんでいつもああなのかしら……。才能と人望の無駄遣いをしてると思うのよね~」
 おじさま――これは文句なのか惚気ているのか、どっちだと思います?
 カレンの陛下話を聞いているうち、私はだんだんアホらしくなってきました。ついでに、その『動いて喋るとがっかり』な皇帝陛下を見てみたくてたまらなくなりました。
 そうしているところに、ふと長身の影が差しました。思いがけず、オスカー・エルデヴァドさんが通り掛かったのです。
 大木の枝に掴まっている少女と、それを見上げて会話している私を、エルデヴァドさんは不思議そうに見ながら歩み寄ってきました。いいところへ来てくれたとばかり、私はエルデヴァドさんに頼んでカレンを木から降ろしてもらいました。
 数時間ぶりに地面に両足を着いたカレンは、ほっと一息ついたあと、私とエルデヴァドさんとの関係を興味津々に訊ねてきました。関係も何も、エルデヴァドさんは私が通うルベリア女学園の理事の方。ただそれだけです。
 でも、考えてみればエルデヴァドさんも、口を開かなければもっとマシなような気がします。口を開くと何か、公爵家の家柄を自慢しているような感じになっちゃうんですよね。あの鼻持ちならないお坊ちゃま感がなんとかなればいいのになーと思います。いつも美味しいケーキをご馳走してくださることには感謝しているんですけどね。――あ、おじさまが贈ってくださるチョコレートが一番美味しいですよ!? それは本当です!
 そう、それでチョコレートなのですが、ちょうどその日はエルデヴァドさんがチョコレートを持っていたのです。木から降りたカレンが空腹を訴え始めたので、それをもらって食べさせました。
 そこへ、ひとりの男性がカレンの名前を呼びながら走ってきました。これまたこの国では見かけることのない服装で、チョコレートを口いっぱいに頬張ったカレンが「あ、陛下」と面倒臭そうに呼んだので、その人が『レイホウコク』の皇帝陛下だとわかりました。カレンと一緒に不思議なチョコレートを食べて(カレンのほっぺたのチョコレートを舐めて?)、こちらの世界へ来てしまったのでしょうか。
 カレンが言ったとおり、『陛下』は長身で目元の涼しい美丈夫でした。陛下は、知らんぷりしてチョコレートを食べ続けるカレンの傍へ駆け寄ると、エルデヴァドさんを睨みつけました(私の存在は無視です)。
「なんだおまえは!? 花蓮を『ちょこれいと』で餌付けするつもりか!? 花蓮は私の寵妃だぞ、勝手におやつを与えるな! 花蓮はな、美味しいものをくれる人間にホイホイ付いていってしまう純真で素直な娘なんだ」
「何のことだ。私はこのチョコレートをアデルにプレゼントするつもりで持ってきたんだ。それを、この少女が空腹だというから、仕方なく提供しただけだ。どうして私が見も知らぬ少女を餌付けしなければならない。これはアデルの餌付け用に――」
 そこまで言ってエルデヴァドさんはハッと口を押さえましたが、私はしっかり聞いてしまいました。
 ――私を餌付けしようなんて、そんな料簡でいつもケーキをご馳走してくれていたなんて!
 私がじろりと睨むと、エルデヴァドさんはばつが悪そうな顔で横を向きました。その傍らで、カレンと陛下が喧嘩をし始め、やがて陛下が強引にカレンを抱き寄せると、カレンのほっぺたに付いたチョコレートを舐めました。
「ふぎゃっ」とカレンが毛を逆立てた猫みたいな声を上げ、それと同時に、ふたりの姿がゆらゆらと揺れながら薄くなり、フッと消えてしまいました。
 数日経った今でも、あれは何だったのか不思議です。私ひとりが見たものなら、空想癖が高じて白昼夢でも見たのかと思うところですが、エルデヴァドさんもカレンと陛下を見ています。ということは、あれは現実の出来事なのです。――そして、エルデヴァドさんが私を餌付けしようとしていたことも現実なのです!
 まったく、私を餌付けしてどうしようというのでしょう(私はペットの犬や猫じゃありませんよ!)。貴族のお坊ちゃまの道楽はよくわかりません。あの日は、カレンたちが消えてしまったびっくりのどさくさで、エルデヴァドさんの真意を聞き出し損ねたのです。今度会ったら、どういうつもりなのか聞こうと思います。
 それではまた。

カレンと陛下のその後が気になります アデル・バロット

◇―――*◆*―――◇

 ――どういうつもりも何も……。
 美味しいものを食べるアデルの顔が可愛いから、それを見たいだけなのだが。それをつい、あの『陛下』とやらの言葉に釣られて、『餌付け』と表現してしまっただけだ。今度会ったら、どう言い訳しよう――……。
 オスカーはアデルから届いた手紙を読み終え、ため息をついた。そしてもう一度手紙に目を落とす。
 おじさまが贈ってくださるチョコレートが一番美味しいですよ――か。
 こんなことを言われると、その美味しいチョコレートを贈っているのは自分だと明かしてしまいたくなる。
 あの日は、アデルに渡そうと思ってチョコレートを持っていたのだ。『おじさま』ではなく、オスカー・エルデヴァドがプレゼントしたチョコレートを美味しそうに食べて欲しかったのだ。それをなぜか、口元がむふむふ動く不気味な少女に平らげられてしまった(アデルの口には一粒も入らなかった!)。
 だが、考えようによってはこれでよかったのだろうか。自分がプレゼントしたチョコレートを食べながら、アデルに直接目の前で「おじさまからもらったチョコレートの方が美味しいです」などと言われたら、『おじさま』への嫉妬のあまり、我を忘れて正体を明かしてしまいそうだ。その展開を回避出来たと考えれば、あの訳のわからない異世界(?)の少女に感謝するべきなのだろうか――。
「いや――だが……しかし……く――……っ」
 アデルの手紙を握りしめながら煩悶する坊ちゃまを、じいやのジョセフがそっと見守っていた。

◇―――*◆*―――◇

 一方、後宮へ戻ってきた花蓮たちは――。
「まったくもう、陛下が変なことするから、戻ってきちゃったじゃないですか! あのふたりのこと、もっと観察していたかったのに!」
「変なこと? おまえの頬を舐めたことか? それでどこか別の世界へ飛べるなら、いくらでも状況の再現に協力してやるぞ」
 榻の隣に座る天綸が甘い目つきでこちらを見てきたので、花蓮は慌てて横へ飛び離れる。
「も、もういいです、寄らないでください触らないでくださいっ」
 シッシッと天綸を手で追い払った花蓮だが、先ほどのことを思い出すと、口元がむふむふしてくる。同じ経験をした話し相手は天綸しかいないので、仕方なく天綸の隣に座り直して口を開く。
「あのね、陛下。あのアデルという子の身の上をいろいろ聞かせてもらったんですけど、これが美味しさ満点なんですよ! 赤ん坊の時に孤児院の前に捨てられて、それからずっと孤児院で育って、もう年齢的に追い出される寸前というところで、援助してくれるお金持ちが現れたんですって! それがいつも『ちょこれいと』を送ってくれる素敵なロマンスグレーのおじさまなんですって!」
「ほう、煌恋小説そのままの設定だな」
「や、甘いですよ陛下。これがこのまま、相手がロマンスグレーのおじさまだったら駄目に決まってるじゃないですか。この場合、あのオスカーという美青年が実は『チョコレートおじさま』だった! というのがお決まりの流れなんですよ。私が食べちゃったチョコレート、あれ本当はアデルのために持ってきたんですよ。アデルの気を引きたくてたまらないんですよ。そういう展開でなかったら、読者から文句の手紙が来ますよ!」
 拳を固めて力説する花蓮に、天綸はむっと言い返す。
「人のことを言っている場合か! 私とおまえが結ばれるのもお約束だぞ、そうならなかったら読者から文句の手紙が来るぞ! だから素直に睦み合おうではないか」
 素早く背中へ回された腕に抱き寄せられ、そのまま榻の上に押し倒されて、天綸の腕の中で花蓮はびちびち暴れる。
「何が『だから』ですか、素直って何ですか、私が陛下と結ばれる約束なんてどこにもないですよ~!」
「灯台下暗しというやつだ。自分のことだから、お約束に気づいていないだけだろう。それを私が教えてやる」
「~~~っ」
 天綸にくちびるを塞がれて反論を封じられた時、戸口に小さな影が差した。
「お嬢様、ただいま帰りました。奥様からお土産に舶来の『ちょこれいと』をいただいてきましたよ――お嬢様……お嬢様っ!?」
 花蓮の母親に呼ばれて淑家へ出かけていた侍女の鳴鳴が、飛び上がってお土産を放り投げ、部屋の隅に立てかけてあった箒を握りしめる。
「陛下、またお嬢様に悪さを――! わたしの目が黒いうちは、お嬢様に不埒な真似をすることなど許しませんよ――!」
 箒を振り回す鳴鳴に追い払われた天綸が、「寸止神の手先め……!」とぼやきながら背中を丸めて戸口を出てゆく。
 これが、この時点でのふたりのお約束なのだった。

〔おしまい〕